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子育て講座のご案内



2月22日(土)に   東京大学大学院教育学研究科・教授
同附属発達保育実践政策学センター長 遠藤 利彦先生による子育て講座があります。先生はNHK Eテレの「すくすく子育て」の専門家枠で子育ての悩みや不安などにも回答をされているのでご存知の方も多いかと存じます。
発達心理学がご専門で、語り口がやさしい素敵な先生です。
対象は 子育てに関心のある方となります。

テーマ    「子育ての基本について考える」
        〜親は子どもの安心基地〜

講師    東京大学大学院教育学研究科・教授
    同附属発達保育実践政策学センター長 遠藤 利彦

日時  2月22日(土)午後1時半〜

場所    愛の園ふちのべこども園本園4Fコモレビホール
費用          無 料

予約はこちら
042-759-3551 子育て広場つくしんぼ まで

地域の方、保育関係者の方も是非、お越しください。

「おかあさんといっしょ」の10代目の体操のお兄さん、タレントの佐藤ひろみちさんが来園され、親子体操、ふれあい遊びを指導してくれます。

〜〜〜親子でたのしむ時間のご案内〜〜〜

!!急募!!

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2月8日(土)に 「おかあさんといっしょ」の10代目の体操のお兄さん、タレントの佐藤ひろみちさんが来園され、親子体操、ふれあい遊びを指導してくれます。土曜日の朝の10時半からになります。どなたも無料ですが、予約をお願いします。対象は就学前の子どもたちとお父様、またはお母様の親子です。

予約はこちら
042-759-3551 子育て広場つくしんぼまで

保育雑誌のモデル指導計画に乳児保育の方針をお送りしましたが改めて乳児保育の方針を記載してみます。

(情緒的利用可能性「エモーショナルアベイラビリティー」を重視する関わりと安定した育ちに対する配慮)

1、 乳児の言葉によらない思いや欲求の表出、発信行動などに対する保育者の情緒的表現、おはしゃぎ遊びなどの共快感、深い洞察をもとにしたなぞりなどを適切に示し、その中で自己信頼と他者信頼を獲得する。

(関係性からの育ち)

2、 子ども同士、子どもと保育者との関係保育の中での基本的信頼感を形成し、その中で平和的でおだやかな気持ちをベースとした準拠枠を広げながら、自立心が立ち上がる瞬間を待ち、「その子らしい姿」を大切にした育ちを保障する。


これらをベースとして二才児くらいまでは「一切叱らない保育」というものを掲げています。
子どもの不安な情緒を社会的な意味での親である保育者に感情転移しながら次第にラポール(互いの信頼関係)を形成し、園の中で、本能的活動意欲を活性化させ周囲の世界を広げていくことができるように私達が人的、物的な環境を整えます。

そして、保育者の方が自分の子どもを預けたいと思えるこども園にするというものが理想です。

集団の中での障がい児の保育についての考察

当園の障がい児保育のルーツで、考え方の基本となる概念の「関係保育」について考察をしてみました。この関係保育の概念の考えは当園に45年前に勤務していたセラピスト、小林和雄がつくったものです。
小林が、新しい言葉にこだわった理由に「新しい葡萄酒は新しい革袋に盛らなければならない」という考えを体現していたからであります。


保育論の全体像は以下のようなものです。
保育者を絶対化せず(=主人公とせず)、園児を絶対化せず(=主人公とせず)、否定型発達児を絶対化せず、定型発達児を絶対化せず、その個々の実体概念ではない、相互の関係という関係概念そのものの価値を相互交流において追求することが、逆に、障害児と非障害児と保育者が最高度に育つ、という仮説に立脚します。ここでは偏見も受容されながら関係において決定的な力を発揮せず、非障害児のインクルーシブ的な成長(=福祉的な関係感覚)が決定的に促されていくものである。


関係教育論、関係社会論、関係人生論、関係生命論と展開していく、関係哲学の起点になる、発展的コロラリーをもつものです。関係こそすべてであり、それは、(障がい児・非障がい児間においても例外なのではなく)対等・平等である、実体概念で観ていたそれまでの障害児保育論を、関係概念で論ずるべきものとして、従前の諸障害児保育論を転換させ得る力を秘めています。


人と人の関係は、断絶=無関係であってはならず、無関係を嫌い、無関係を拒否し、無関係・無関心に価値を置こうとしない、そういう好意と信頼をもって人と人はつながることに最高の価値があるという、人間規定・関係価値論に立脚した障害児保育論です。
その関係において、深まるほどに、信頼・助け合い・連携・分業等、すべての社会関係の基礎に位置する人間関係が、人と人はどういう関係であるべきなのか、という哲学的問題提起なのです。同等かつ対等でありながら、互いに異質、という人間観に立脚する論です。片方だけが異質・おかしい・変(これが従来の障害児保育論の前提)なのではない、非障がい児・定型発達児も、障害児からみれば、異質で・変わっている、自分と違う、ということを承認するかどうかなのです。いま、インクルーシブ教育で最も強調されている障がい理解教育の、保育の平面での表現である特徴を色濃くもっています。

世の障がい児療育、保育の考え方は個別分断して、主に臨床心理系、理学療法系などから導かれたものをあてて集団保育の場で試すようなものが理屈として多いですが、集団の中での非定型発達児には集団での答えが必要な気がします。
そうでなければ理想論を空虚に振り回すことになってしまいます。
「関係保育論の概念」で障がい児保育を捉え直してみる必要があると改めて感じております。





毎日の保育園での幼児食、離乳食についてはこちらをご覧ください。どうぞこちらで公開しています。

医療的ケアが必要な子どもや気になる子どもの保育について

本来、子どもは水たまりがあればジャブジャブ入りたい、木があれば登ってみたい、機械があれば壊して中を覗いてみたいという「本能的活動意欲」があります。ところが子どもの育つ環境の縮小化とか大人教育の押しつけや飾り立てた衣類などによって、幼い頃から押さえ込まれ、探索する心がすっかり萎えてしまった子どももいます。でもひとたび、目を輝かせてドロンコ遊びをする障害児の姿から刺激を受けた、前述のような姿の子どもが一緒になって素っ裸になり、ダイナミックにドロンコ遊びを展開していくシーンは見事に「共通項の保育」を証明しています。 

(いっしょっていいね・・・松岡俊彦著 筒井書房 1997年 より)
渕野辺保育園二代目園長(現・愛の園ふちのべこども園) 松岡 俊彦




本園に在園する子どもは集団の中で育ちながら上記のような「共通のステージ」を持っています。その中で、例えば、障害児として確定診断を受けている子どももいます。
しかし、障害児の子どもが在籍しているクラスだからといって、障害児と非障害児の子どもの保育を「足して2で割る」ような保育を行う必要はないのです。保育者が「ある子ども論」に終始しなければ、障害児の子どもにも受容と共感をベースに両者が有する「共通項の保育」を目指し、互いに集団の中で自己実現ができます。

もちろん、障害の区分や重たさを充分に認めながらも、病理学的に捉えず、もっと柔軟に受け入れ、個々の行動特徴を「表現パターン」として受け止めていくことで、ときに障害児にとって「保育」は「療育」よりも成果を上げることがあり、結果的に全面発達をすることに繋がっていきます。

療育には、理学系のもの、感覚統合、行動療法、遊戯療法なども含む臨床心理系のものなどがあります。しかし保育という営みの中で、一定の効果をあげてきた事例の多くは、それらの治療的技法を駆使して障害児の子どもへ取り組んで返ってきた姿ではないことを保育者は胸の奥底で実感として持っています。

「保育」を活動意欲をベースとして遊びの形態を取る身体活動、思考活動とするならば、身体各部位の末梢神経を通じて、大脳中枢への活性化を促進します。ひいては、それらが脳細胞のネットワークにバイパスをつくります。だからこそ、障害児に限らずどの子どもにも「知識や技術の断片的な詰め込み」であってはならないのだと思います。競争原理の分離集団(セグレーション)では、できる、できないが唯一の価値になってしまいます。しかし、発達の多様性を認める統合、包括集団(インテグレーション)のクラスのパラダイムならば、どの子も主役であり、みんなで個々の「困っていること」を助ける仲間関係に展開していくことができます。

当然ですが、障害そのものは「単なる発生出現率」の問題なので長い人生の中では、どなたにも関係があり、社会全体で考えていく問題なのは言うまでもありません。そして、発達障害児、身体的障害児といえども「発達のみちすじ」は非障害児のそれとなんら変わりはありません。
最初は、互いに目を合わせ、意識し、模倣行為をして、物の貸し借りをして「仲間」になります。

ある卒園間近のお母様から「これだけ多くていろんな子どもがいるから、うちの子どもに合う子が必ずいるだろうという理由でこの園に決めたのです。」とうれしいお言葉をいただきました。
障害児も非障害児も互いに認めあい、育ちあい、「共通項の保育」にロマンをのせて常識的枠内での発想に陥らず、どの子も「その子らしい姿」を発揮できるインクルーシブ保育を大切にしていきたいです。
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