福祉セーフティーガード支援隊を結成しました!

私達、社会福祉法人には剰余金がある法人もそうでない法人も等しく社会福祉充実計画を策定することが求められています。
近年、社会福祉法人の収支差額から拠出して生活困窮者を支援したり、地域の中で支援をに必要としている方々への私的支援事業などに充てるという流れができつつあります。
神奈川県の社会福祉法人は 「かながわライフサポート事業」などに協力して費用を支弁する例なども見られています。

私達の法人はそもそも、賀川豊彦先生のセツルメント事業からはじまっていることを辿れば、お金だけを拠出してお任せしていくという形ではなく、私達みずからが困窮者の中に入っていくことで実際にお役に立てるようにしなければならないと考え、今年から「福祉セーフティーガード支援隊」というものを結成しました。


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保育、障害者、高齢者、相談等というような「属性」分野だけの枠組みから離れて、これらの各論が一体になっているようなケース、言うなればマルチプロブレムにも法人全体であらゆる資源、環境を使って解決してあげられるような事業を目指しています。
この事業はもちろん、利益は一銭もありません。
利用者の方、相談者の方からの費用は取りません。
むしろ持ち出しがすべてで、ボランティアで問題を解決していくことを指しています。


今後は、貧困者の方、社会に適応するのが困難な方などを対象に一定の、制限のもとではありますがお金の貸し出しもするし、ショートステイができる場所等もつくっていくことになります。







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気になること

最近のニュースで例の2歳のお子さんがお亡くなりになられたことが心に残ります。
ベビーシッターという制度が日本にもかなり高額所得の方などを中心に定着をし、それが時間の経過とともに厚志家の方がサービスとしてビジネスとしてマッチング事業を考えだしてネットなどで簡単に誰でもサービス供給者もサービス受給者も利用出来るようになったから多くの方が利用をしているだと思います。

このような悲惨な事件が起こった遠因にはもちろん、認可保育園が多様な保育ニーズ、深夜もそれこそ必要な方がいることを知っていてできてないことがこのような事業を生んでいるのかもしれません。その点では、当園も含めて認可保育園の役割というところでつらいところです。

しかし、少し説明をすると渕野辺保育園では以前、訪問型一時保育事業を平成3年から8年くらいまでまったくの自主事業で行なっていたこともあり、この事業の難しさを感じて止めた経緯があり、しかも「訪問型病後児保育事業」まで行なっていたこともあります。しかし時代としてはニーズとしては確実に求めていることを考えると「もどかしい」思いがあります。

しかし、「認可保育園」での保育事業だっていまや「ダブルチェック」「トリプルチェック」などと叫ばれて、一人で判断することの危うさはなかば常識になっているのに、とくにこれだけアレルギー児であったり、ボーダーといわれる範疇の子どもが増えている中で、一人で、しかも経験の浅い人が子どもを見ていくというものが、とくに普段いっしょにいない他人が見ることの危険をやはり感じます。(経験が豊富であっても長い時間の子どものストレス、専門家だって人間である以上ながい時間の人としての限界があります。ニュースの事故のような長い時間なら複数制にするべきなのです。)
ベビーシッター事業のような形態(家庭で一人で子どもをみる事業)はなくてはならないものかもしれませんが、
もう少しシステム化(安全が守られるような)された安全体制の構築が必要なのではないかと感じます。
とても悲しいニュースから考えたことです。







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自省をこめて賢人の言葉に耳をかたむけてみます

底の浅い人 深い人

浅い川は音を立てて流れる  しかし底の深い川は静かに流れる  人もまた同じだ
底の浅い人はすぐ騒ぐ    何でもしゃべる 正直のように見えるが思慮が浅いだけである。
底の深い人はめったに騒がない 必要なことは言い必要なきことは言わない 
言うべきことを見分ける
底の浅い人はボヤを騒ぎ立てて大火事にする  底の深い人はボヤのうちに黙って火を消す
底の浅い人は起きた問題に他人を巻き込み そのくせ自分がかけた迷惑には鈍感である
底の深い人は起きた問題を自分の胸に収めて 皆に気付かぬうちに処理しようとする

―豊水ー

自省したいと思う言葉でした。






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社会福祉法人立の保育園として

安部政権は 認可保育園の運営者に株式会社を認めるという考えを持っています。
それが首都圏を中心に多数存在する待機児解消に役立つからという背景からです。
そしてよく例に挙げられる、上記を積極的に推進した横浜市は現在「優等生」と見られています。
待機児カウント数ではあれだけ多くいた待機児数が平成25年度当初0になったと報道されました。

しかし、本当に問題は解決したのでしょうか?
いえ、いくつか知っている横浜の保育園の現場の声は決してそうではないようです。
保育士さん不足や、園による保育の質のばらつき(昨日まで建設会社だった会社も今日からは保育のスペシャリスト??...になれるわけはありません。)

就学前の養護と教育を一体として見守り、いつくしみながら育てる保育園が利益、利潤追求が主目的に変わる状況に一変することになるのでしょう。今回の改革の中で、もっとも小さい声で世間に伝えてない立場は戦後からずっと子ども達の保育を支えてきた 「既存の保育園」の声であります。
そして一方的に立場を解説され、必要悪のようにも見られた私達の存在があります。

その意見の全体はこんな論から始まります。
「アンシャンレジーム側の公立保育園、社会福祉法人立の保育園は経営努力をしていない」という論調です。私達の考えを伝える場はあまりないですが、御理解をいただきたいことがあるのであえてここで書きました。

大半はこんな意見です。
「株式会社が認可保育園の運営に入らないのは既存の公立園や社福が足を引っ張っているからである。既得権益を守ろうと必死で抵抗しているのだ!」という論調です。

これに対し、少なくとも私達の園では「どうぞご参入ください」と申し上げたい。
どちらがより「子どもにとって良い保育を提供できるのか」という視点で勝負をしたいと思います。

ところで今まで株式会社が参入していないわけではないのですが、いままでどうして保育園業界に積極的に株式会社が入ってこなかったかという部分は「既存の体質」がそれを拒んだという意見が大勢です。しかし本当にそうでしょうか?
そうではありません。

実際に保育事業を行っている株式会社さんなら分かると思いますが、「正しく」保育園経営を行っている会社は「利益」がでません。実際に「利益が出る構造」ではなかったのです。
もう一度言いますが「正しく保育園を行っているところは例外なく利益があまり出ません。」

そんな現状なのに私達が既得権益を守ることに固執しなければならないでしょうか?

じつは保育にかかるコストは人件費を筆頭に多くかかりますが、社福は補助金をもらい事業をしているからイコールフッティングの視点から不公平だと言われておりました。

でも、ある制度の中に入って事業を行っているのは事実ですが、社福はほとんどが設立者の個人の資金であったり土地であったりというものを「基本財産」として入れてそこから事業がはじまっています。この進み方は例えば国の出先機関の団体と成り立ち方も意味合いも違います。
また、厳しい水準の法定監査があります。これに度重ねて違反をすればすぐに認可取り消しです。利益も何パーセント以上あれば収支分析表も提出するし、翌年度の補助もなくなります。(民改費の削減)

しかも保育園に勤める職員は園長も含め非常に薄給です。すなわちそれだけ運営費が入っても子ども達に「実際に支出」で出すので利益はほとんどないといえます。
ちなみに株式会社でも「認可保育園」ならば今後は補助をもらうわけです。
本質的に第一に子どもへの保育はコストがかかります。保護者の保育料の平均して倍以上かかっています。
しかしこのコストも諸外国と比べると圧倒的に低い水準なのです。

なぜなら、必要なことを体験して子どもは発達をしていかなければなりません。多くはその「体験する」コストです。小学生以降のようにテキストと概念だけで理解できるのはそれまでの「生活体験」をしてイメージがあるから可能なのです。そのため「体験する」コストは乳幼児期には必要なのです。株式会社の保育所の皆様が認可保育園を行うのは構いません。でもどうかその「体験するコスト」を奪ってまで本部への上納金にしないよう切にお願いをします。

ちなみに新しく園舎を建てる際は「園長の連帯保証も含む」借金をして建てます。
(基準額では立たないからです。)

その状況なのに既存の保育園は「うまみ」ばかりであるとみられるギャップがあります。
そういう事情を知らない株式会社は保育園事業に参入しますがやめてしまう株式会社の事業者もたくさん出てきます。それは「こんなはずではなかった」と思うからではないでしょうか?


私達は長い保育への蓄積があるため「本質」で保育を考えるという性質を持っています。
「自分の意志で思っていることを伝えられないこども」のための保育を徹底的に続けるという考えを持っています。しかし新しい制度のもとでもそれができるのでしょうか?少し心配になります。

株式会社立では利用決定権者であり、お客様である「保護者(父母)」の意向をおそらく「子どもの最善の利益(目先ではない本質的な子どもの幸せ)」より意識するようになるし、同じく子どもへは 「お客様」 として接するようになるでしょう。
子どもを「お客様」にして育てて、良い結果が生まれるわけはありません。
全体的には「託児利便性追求サービス業」に向かって突き進むことになると思います。
もう一度言いますがこれで本当に良いのでしょうか?


利用者に選ばれる保育園は、「子どもの発達課題やすこやかに充実して成長すること」よりも「○○の習い事のようなことをやってくれる保育園が正しい」という保育所保育指針にも幼稚園教育要領にも書かれてないことが園決定への主要因になってしまいます。「建物はピカピカで、保護者の方には耳触りの良いことしか言わない。毎日おもてなしを受けにくる場所」となります。
保育所の子育て観はすべて消え、○○をしてもらうためには幾らの対価を支払ったから○○のサービスを受けられる権利がある。という尺度だけですべてが評価される。。。。

これが本当に子どものためになるのでしょうか?

もうひとつの問題は、早期教育観です。
安部政権では世界に通用する人を育てるため5歳から義務教育期間にする考えを表明しています。
せっかくの子ども時代は二度とありません。土台をつくる期間はどんどん短くなっていき子どもらしく生きられないという歪みが当たり前になってしまいます。そもそも「就学前の時代」が「小学校のプレスクール」で良いのでしょうか?「小学校のプレスクールになってほしい」という理屈はこの就学前保育教育に関係のない方々からの理解のない子育て観から来ています。

私達「既存の保育園」は、これに対しても既成概念を守るためにやらないのではありません。
むしろ「上記のようなことをやってほしい」と言われればできます。
しかも 簡単 にできます。
実際にそのような人材があえて宣伝などしなくても、いまの私達の園の保育にあたっています。

でも、それが子ども達のためになるかといえば「そうではない」と言える自信があります。
もう少し、子ども達に子ども時代を与えてあげてほしいと国に申し上げたいと考えます。
ぜひ、日本の子ども達にいまの政治に決定権がある方々が最善の選択をしていただくことを心より望みます。
もう一度言いますが「株式会社の参入」は怖くはありません。
堂々と「子ども達にとって良い保育内容」で勝負をしましょう。そして日本の保育の質、就学前教育の質をあげる努力に向かって進みましょう。




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子どもの才能と親の責任についての雑感

筆者の知り合いが子ども時代からのスポーツに一生懸命取り組み、ある時挫折をして一から新しいことをはじめるということが最近あり、そこから感じた雑感を書きます。

どの親御さんにとっても子どもはなにより大切な宝だと思います。

子どもは保育園や幼稚園を卒園し、小学校に進学し、さらに大きくなります。
そこで子どもは大きくなるにつれて自分の「才能」を発揮してくることがあります。
音楽の才能であったり、絵の才能であったり、はたまた野球やサッカーの才能であったりもするかもしれません。
逆に考えると一生懸命に打ち込めば、なにがしかの才能が「ある程度」までは発揮されていくものだと言えるかもしれません。

やがて中学になり、高校になり、大学や大学院などにも進むかもしれません。ここで大切なお子さんがなにかの芽がでると、当然伸ばしてやりたいと思うのが親心だと思います。しかし、ここには結構大きな罠も潜んでいると思うのです。

サッカー、野球を高校生で県のレベルまではトップで過ごせた。さてこのスポーツで大学にも声がかかったから進学しよう となった際、「本当にけがをせず卒業までできるか、そのスポーツを続けられるか」という問題は正直誰にも分からないものだと思います。

視点を変えて、音楽や芸術はどうでしょう。
絵や音楽の才能もそうです。絵などは美大や芸大などに進んだとしていったい本当にそれで食べていける人はどの位いるのでしょうか。本当に一握りといっても過言ではありません。
あのゴッホやモディリアーニなどの巨人でさえ、亡くなった後に評価が高くなったのだと言え、生前は食べることもままならなかったと解釈もできます。
音楽もちょっと才能があるレベルとそういう人たちばかりが、「さらに」集まる学校でそこで競争してトップになるという人は残念ながら違いがあります。しかしそういう見極めこそ重要なのだと思います。

「本当にトップレベルの才能」があるのかということを親が見極めるときは冷静に、慎重に判断をしなければならないはずです。「子どもの才能に賭けたい!」という気持ちをグッとグッとこらえて時に、冷静な判断で「普通の勉強」をさせておくことが後々、「食べていく」ことができるかもしれません。いまは資格社会でもあります。本当にその資格にともなう能力があるかどうかはあまり重要ではなく、「資格」こそが尺度になっていく側面もあります。

例えば、あるスポーツはやってきたが挫折して、それ以外やってこなかったならばそこからの努力は本当に大変なものになるはずです。年齢や状況によってはどうしようもない時もあります。

でもお子さんを育てるならば、やはり一番身近なお父さん、お母さんがお子さんのいろんな可能性を「冷静」に見つめてあげることが必要なんだと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。



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