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集団の中での障がい児の保育についての考察

当園の障がい児保育のルーツで、考え方の基本となる概念の「関係保育」について考察をしてみました。この関係保育の概念の考えは当園に45年前に勤務していたセラピスト、小林和雄がつくったものです。
小林が、新しい言葉にこだわった理由に「新しい葡萄酒は新しい革袋に盛らなければならない」という考えを体現していたからであります。


保育論の全体像は以下のようなものです。
保育者を絶対化せず(=主人公とせず)、園児を絶対化せず(=主人公とせず)、否定型発達児を絶対化せず、定型発達児を絶対化せず、その個々の実体概念ではない、相互の関係という関係概念そのものの価値を相互交流において追求することが、逆に、障害児と非障害児と保育者が最高度に育つ、という仮説に立脚します。ここでは偏見も受容されながら関係において決定的な力を発揮せず、非障害児のインクルーシブ的な成長(=福祉的な関係感覚)が決定的に促されていくものである。


関係教育論、関係社会論、関係人生論、関係生命論と展開していく、関係哲学の起点になる、発展的コロラリーをもつものです。関係こそすべてであり、それは、(障がい児・非障がい児間においても例外なのではなく)対等・平等である、実体概念で観ていたそれまでの障害児保育論を、関係概念で論ずるべきものとして、従前の諸障害児保育論を転換させ得る力を秘めています。


人と人の関係は、断絶=無関係であってはならず、無関係を嫌い、無関係を拒否し、無関係・無関心に価値を置こうとしない、そういう好意と信頼をもって人と人はつながることに最高の価値があるという、人間規定・関係価値論に立脚した障害児保育論です。
その関係において、深まるほどに、信頼・助け合い・連携・分業等、すべての社会関係の基礎に位置する人間関係が、人と人はどういう関係であるべきなのか、という哲学的問題提起なのです。同等かつ対等でありながら、互いに異質、という人間観に立脚する論です。片方だけが異質・おかしい・変(これが従来の障害児保育論の前提)なのではない、非障がい児・定型発達児も、障害児からみれば、異質で・変わっている、自分と違う、ということを承認するかどうかなのです。いま、インクルーシブ教育で最も強調されている障がい理解教育の、保育の平面での表現である特徴を色濃くもっています。

世の障がい児療育、保育の考え方は個別分断して、主に臨床心理系、理学療法系などから導かれたものをあてて集団保育の場で試すようなものが理屈として多いですが、集団の中での非定型発達児には集団での答えが必要な気がします。
そうでなければ理想論を空虚に振り回すことになってしまいます。
「関係保育論の概念」で障がい児保育を捉え直してみる必要があると改めて感じております。





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