渕野辺保育園のルーツ

法人全職員が集まり和泉短期大学クラークホールで研修を致しました。
ありがたくも伊藤学長先生が司式者、武石教授がパイプオルガンの奏楽者でご参加いただきました。
講師は 日本キリスト教団東駒形教会の 戒能 牧師です。
戒能先生は当法人のルーツを詳しく調べて下さった方ですが、じつは法人のルーツと大いに関係の深い方です。

私達、渕野辺保育園の前身は 「愛の園保育学校」 と言います。それは現在の東京都墨田区石原のバラック小屋の中で託児所のような保育所をはじめた 賀川 豊彦先生のおつくりになられた保育所にて先生に師事して、仕事をはじめたからなのですが、この本所石原の陸軍被服廠の跡地(現・東京都慰霊堂・横網公園)という場所はじつは関東大震災でお亡くなりになられた方々の遺体を燃やした場所だったそうです。そして後に多くの全国からのご遺体も運ばれて、どこのだれもこの場所を利用してなにかをはじめる方、住む方などいなかったそうです 。

すなわち当保育園のルーツの場所は、有名な関東大震災後の 陸軍被服廠の跡地という誰も使うことできなかった場所です。この隣の旧安田邸の庭園にテントを張り、賀川豊彦 先生が「愛の園保育学校」の姉妹園「光の園保育学校」をはじめました。
そこにはたくさんのストリートチルドレンがいたそうですが、分け隔てなく食べ物与え、生活文化を教える、まさしく「学校」だったそうです。

そして渕野辺保育園の前身の 「愛の園保育学校」 も賀川 豊彦先生がはじめられたものです。
渕野辺保育園創設者の女性園長は夫である牧師と 「美邦教会」と「愛の園保育学校」の運営を任されました。
「美邦」とは「みくに」であり、神の御国という言葉から来ています。
さて、その二つの施設は、その後、歴史の激動に巻き込まれ、東京大空襲に遭い すべてが消失しました。


そして戦後に淵野辺についたのです。ここで、渕野辺教会(1年のみ)と渕野辺保育園(現在に至る)をはじめたのが当園のルーツです。
創設園長は  神の 「愛の精神」 にて子どもを預かり、どんな子ども達にもその瞳に輝く将来を見たとき、畏敬の念で、「下座奉仕」をする気持ちで接すること、1匹のヒツジが迷ってしまったならば99匹のヒツジをほうったまま 探しに行くような気持ちでいなさいという例えを用い、子ども達一人ひとりを大切にすることを伝えて下さっていました。

現代の私達は、到底、このような境地には達していませんが、あの創設者の愛の精神を継ぐものにならなければと改めてこの研修から学びました。


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