子どもの才能と親の責任についての雑感

筆者の知り合いが子ども時代からのスポーツに一生懸命取り組み、ある時挫折をして一から新しいことをはじめるということが最近あり、そこから感じた雑感を書きます。

どの親御さんにとっても子どもはなにより大切な宝だと思います。

子どもは保育園や幼稚園を卒園し、小学校に進学し、さらに大きくなります。
そこで子どもは大きくなるにつれて自分の「才能」を発揮してくることがあります。
音楽の才能であったり、絵の才能であったり、はたまた野球やサッカーの才能であったりもするかもしれません。
逆に考えると一生懸命に打ち込めば、なにがしかの才能が「ある程度」までは発揮されていくものだと言えるかもしれません。

やがて中学になり、高校になり、大学や大学院などにも進むかもしれません。ここで大切なお子さんがなにかの芽がでると、当然伸ばしてやりたいと思うのが親心だと思います。しかし、ここには結構大きな罠も潜んでいると思うのです。

サッカー、野球を高校生で県のレベルまではトップで過ごせた。さてこのスポーツで大学にも声がかかったから進学しよう となった際、「本当にけがをせず卒業までできるか、そのスポーツを続けられるか」という問題は正直誰にも分からないものだと思います。

視点を変えて、音楽や芸術はどうでしょう。
絵や音楽の才能もそうです。絵などは美大や芸大などに進んだとしていったい本当にそれで食べていける人はどの位いるのでしょうか。本当に一握りといっても過言ではありません。
あのゴッホやモディリアーニなどの巨人でさえ、亡くなった後に評価が高くなったのだと言え、生前は食べることもままならなかったと解釈もできます。
音楽もちょっと才能があるレベルとそういう人たちばかりが、「さらに」集まる学校でそこで競争してトップになるという人は残念ながら違いがあります。しかしそういう見極めこそ重要なのだと思います。

「本当にトップレベルの才能」があるのかということを親が見極めるときは冷静に、慎重に判断をしなければならないはずです。「子どもの才能に賭けたい!」という気持ちをグッとグッとこらえて時に、冷静な判断で「普通の勉強」をさせておくことが後々、「食べていく」ことができるかもしれません。いまは資格社会でもあります。本当にその資格にともなう能力があるかどうかはあまり重要ではなく、「資格」こそが尺度になっていく側面もあります。

例えば、あるスポーツはやってきたが挫折して、それ以外やってこなかったならばそこからの努力は本当に大変なものになるはずです。年齢や状況によってはどうしようもない時もあります。

でもお子さんを育てるならば、やはり一番身近なお父さん、お母さんがお子さんのいろんな可能性を「冷静」に見つめてあげることが必要なんだと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。



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